雨の配信待ち
朝から雨の予報だった。
けれど昼を過ぎても、空は低く曇ったままで、一滴も降らなかった。傘を持って出た人たちは、みんな少し損をしたような顔で歩いている。
仕事の帰り、駅前のビルに「雨受取所」という張り紙を見つけた。
矢印は非常階段の方を向いている。
ふだんなら無視する。でもその日は、鞄の中の折りたたみ傘がずっと重かった。ぼくは階段を上った。
屋上には、銀色の箱がいくつも並んでいた。宅配ロッカーに似ているが、扉の代わりに透明なふたが付いていて、中には何も入っていない。隅に小さな端末があり、画面にこう表示されていた。
「本日降らなかった雨を保管しています」
冗談だと思った。
けれど箱のひとつに手をかざすと、ふたの内側が曇った。水滴ではなく、見覚えのある帰り道の景色が浮かぶ。駅前の横断歩道。傘を持ったまま見上げた空。開かなかったビニール傘。
端末が鳴った。
「未使用の雨があります。受け取りますか」
画面には、今日一日分の雨量が表示されていた。三ミリ。受取期限は今夜十二時まで。
ぼくは少し迷ってから、受け取る、を押した。
箱の中で、小さな雨が降りはじめた。音はほとんどない。けれど透明なふたの向こうで、街が一瞬だけ濡れた。駅のホーム、信号機、誰かの肩、閉まりかけた店の看板。今日降るはずだった雨が、順番に遅れて届いている。
その中に、見知らぬ部屋が映った。
窓際に、濡れた傘が一本立てかけてある。青い柄の傘だった。部屋には誰もいない。テーブルの上には、短いメモが置かれている。
「雨が降ったら、返事をします」
ぼくはその文を読んだ途端、胸の奥が少し痛くなった。誰からの返事なのかは分からない。ただ、ずっと待っていた気がした。
雨は数分で止んだ。
端末には「配信完了」と表示された。銀色の箱は空になり、屋上にはいつもの乾いた風が吹いている。
帰り道、スマートフォンに通知が届いた。
「本日の雨は受取済みです」
その下に、もう一行。
「返信は、次の低気圧で届きます」
ぼくは鞄から傘を出して、まだ降っていない夜道で開いた。
誰も振り返らなかった。
でも傘の内側だけ、ほんの少し雨の匂いがした。